あなたは「自分にはギターの才能が無い」と思ったことはありませんか。
たとえば、一緒に始めた友達がドンドン上手くなっていると感じたとき。または、人から「君にはギターのセンスが無い」などと言われたとき。
私がギターを始めたときも、「自分にはギターの才能が無い」と思いました。また、そう思ってギターをやめてしまった友達を何人も見ています。
ところが私は、45年以上楽しくギターを続けています。今では「ギターの才能が無い」と思うこともなくなりました。
そこでこの記事では、ギターの才能やセンスとは何なのか、才能がある人とはどのような人なのかについて、私なりの考えをまとめました。
あなたのお力になれば幸いです。どうぞ最後までお読みください。
もくじ
ギターの才能とは?

ギターの才能とは何でしょうか?
「才能」という言葉の意味を、2つの辞書で引いてみました。すると・・・
才能とは、物事を巧みになしうる生まれつきの能力。
出典:デジタル大辞泉
才能とは、ある物事をうまくなしとげる、すぐれた能力。
出典:明鏡国語辞典
この2つの大きな違いは、才能を「生まれつきの能力」と考えるかどうかです。
あなたは、どちらだと思いますか?
では次に、多くの人から才能があると言われ、偉大な業績を残した3人の名言をお読みください。
小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。
元メジャーリーガー:イチロー
今日いい稽古をしたからって明日強くなるわけじゃない。でも、その稽古は2年先、3年先に必ず報われる。自分を信じてやるしかない。大切なのは信念だよ。
元横綱:千代の富士
ステップ・バイ・ステップ。どんなことでも、何かを達成する場合にとるべき方法はただひとつ、一歩ずつ着実に立ち向かうことだ。これ以外に方法はない。
元NBA選手:マイケル・ジョーダン
3人の考えに共通する点は、「目標を達成する方法は、日々の努力しか無い」ということです。
私は、「才能とは、毎日小さな努力を続けることができる能力」だと考えています。
コツコツ休まず練習を続ける能力は、生まれながらにして持っている人もいるでしょう。そういう意味では、才能は「生まれつきの能力」です。
しかし、様々な経験の中で継続する大切さを学び、努力を怠らない能力を身につけた人にとって、才能は「後天的に身につけた能力」だということができます。
いずれにしても、小さな努力を日々続けることができる能力こそが「才能」といっていいのではないでしょうか。
才能という言葉を口にする人
人々から「才能がある」と言われている人は、共通して「自分には才能が無い」といいます。
では、「才能」という言葉を口にする人は、どのような人なのでしょうか?
たとえば、「自分にはギターの才能が無いから上手くならない!」と言う人がいます。
あるいは、「君はギターの才能が無いからあきらめろ!」と言う人もいます。
このような人は、次のような考えから「才能」という言葉を使っています。
「才能が無いから上手くならない!」と言う人
「自分にはギターの才能が無いから上手くならない!」と言う人は、努力しないこと、努力できないことを正当化するために「才能」という言葉を使っています。
基礎練習を毎日休みなく続けることは、退屈で面白くありません。
それが証拠に、こんなピックが販売されています。

これは「広島弁ピック」です。広島弁で「たいぎい」とは、「めんどくさい」という意味です。
「基礎練習はめんどくさいのでやりたくない」という多くの意見があるから、このようなピックが製品化されたのでしょう。面白いので私も買ってしまいました。
話が横道に逸れたので元に戻します。
ギターは、ギターを弾く才能が無いから上手くならないのではなく、上手くなるための練習を続ける能力が無いから上手くならないのです。
どんなに下手でも、全然上手くならないと思っても、ひたすら練習を続けることさえできれば、ギターは必ず上達します。間違いありません。
「才能が無いから」と言う人は、単調な練習を続けるのが嫌になり、心のどこかでギターをやめる理由を探しているのです。
「才能が無いからあきらめろ!」と言う人
「君はギターの才能が無いからあきらめろ!」と言う人は、あなたが努力を続ける姿を疎(うと)ましく思っているため「才能」という言葉を使っています。
彼らは努力が嫌いです。だから、自分がこれ以上上手くならないことを知っています。
あなたが努力を続け、自分のレベルを超えてしまうのは許しがたい。そのように考える人は、あなたが持っているギターへの情熱を奪うために「才能」という言葉を使います。
努力の価値を知っている人は、上達のために一生懸命努力している人の足を引っ張ろうとはしません。努力する人を見たら応援します。そして、努力する人と一緒に自分も上達しようと考えます。
このような人は、努力しているあなたを「才能」という言葉ではなく、「努力」という言葉を使って評価するのではないでしょうか。
「才能」という言葉を軽はずみに使ってあなたの足を引っ張ろうとする人からは、サッサと離れていくのが得策です。
才能やセンスという言葉の使い方
「才能」や「センス」という言葉は、他人を評価するときに使う言葉であり、自分を評価するときには使いません。
たとえば、「あの選手は才能がある」とか「あのギタリストはセンスがある」などです。決して「自分には才能がある。センスがある」とは言いません。
しかし、時として「自分には才能やセンスがあるのだろうか?」と問うときがあるでしょう。
そのように考えるのは、頑張っているのに成果が上がらなくて、不安になったり弱気になったりしているときです。
そんなときにもう一人の自分が現れて、自分に向けて「才能」や「センス」という言葉を使います。
このように、「才能」や「センス」という言葉を自分に向けて言うときは、マイナス思考になっているときです。
したがって、これらの言葉がチラついたときは危険信号です。上達を妨げる危険な考えは捨ててしまいましょう。
今日やったことが明日成果として現れるわけではありません。2年後、3年後のために自分を信じて続けることが大切なのです。
才能があると言われる人が努力した時間

才能があると言われる人は、どれだけの時間努力をしたのでしょうか。
それを研究した人がいます。アメリカの心理学者アンダース・エリクソン氏です。
彼の研究では、「高度な技術の習得には1万時間以上の計画的な練習が必要」だと結論づけました。
この研究結果をもとに、マルコム・グラッドウェル氏が著書『天才!成功する人々の法則』で「1万時間の法則」を提唱しました。
つまり、才能があると言われる人が努力をした時間は、1万時間以上だというのです。
では、1万時間とはどれだけの時間でしょうか?
1日3時間を基準に計算してみましょう。
3時間 × 365日 × 10年 = 10,950時間
つまり、1万時間とは、1日3時間の練習を365日休まず続けて、約10年間の時間です。
これほど膨大な時間を費やしてたどり着けるのが、「才能がある」と言われるレベルなのです。
では、「自分にはギターの才能が無い」と思ったあなたは、どれだけの時間ギターの練習をしてきましたか。
世界トップクラスの人が努力した時間の10分の1、1000時間の練習ですらやっていないのではないでしょうか。
1時間 × 365日 × 3年 = 1095時間
1000時間とは、1日1時間の練習を365日休まず続けて、約3年間です。
これだけの練習をやってきましたか?
つまり、単純に練習量が足りないために上達していないのです。
「自分にはギターの才能が無い」と悩む必要はありません。悩んでいる時間がもったいないだけです。
ギターを上達させるためには、ただひたすらに練習を続けるしかないのです。
まとめ:ギターの才能やセンスとは?才能がある人はどんな人か?
ここまで、ギターの才能やセンスとは何なのか、才能がある人とはどのような人なのかについて、私なりの考えをお話ししてきました。
最後に、世界のホームラン王の名言を紹介します。

努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。
元プロ野球選手:王貞治
この言葉、「自分にはギターの才能が無い」と弱気になっているあなたの心に響いたでしょうか。
努力が報われるように、一緒にがんばっていきましょう!

この記事があなたの一助になれば幸いです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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